モニタで微笑む君に逢いたい

俺笙/社会人俺とPCモニタに映る佐竹笙悟との14日間/20180729~0810twitter連載ログです



 ……残業中のことだった。
 俺は切替器で繋いだ複数台のPCを適宜切り替えながら仕事をしているのだが、うっかり指が滑ってPCを繋いでいない箇所の切替ボタンを押してしまった。どこにも繋がっていないのだから、モニタは真っ暗になる――はずだった。

 白黒ツートンの髪色をした気怠げな少年がモニタに映っている。
 目を擦る。もう一度見るが、確かに映っている。フロアには俺一人だ。
 まさか、幽霊――

『……よお』

 走った寒気に立ち上がろうとした俺に、少年がぼそりと声をかけてくる。低い声だ。
 その低い声が思いのほか優しく、心地よく聞こえて、芽生えていた恐怖心が和らいでいく。
 こちらが落ち着いたのがわかったのか、彼はひとつ瞬きをしてから微かに笑みを浮かべた。

 ……そうして俺達は、ぽつぽつと言葉を交わしはじめた。



 モニタに映し出された少年の名前は佐竹笙悟というらしい 高校三年生だと話すとき、彼はどこか含みのある笑みをした その日から彼はPCを繋いでいない切替器のボタンを押せば姿を現した 彼と話をすることは、起伏のないつまらない俺の生活の中で唯一とも言える楽しみとなった
 最初は「佐竹君」と呼んでいたがそのうちに「笙悟君」「笙悟」と呼び方は変わっていった 残業中に少しでも話せれば満足だったはずなのに、気がつけば休憩時間や仕事中でも周りに誰もいなければ彼に会いに行くようになっていた
 彼は俺の家のPCには現れてくれない 一度うちに来てくれないかと訊ねてみたが彼は何とも言えない顔をして首を横に振るだけだった 彼に会うには会社のPCモニタしかない 最近は家にいる時間よりも会社にいる時間のほうが長くなった
 そして今日も俺は誰もいなくなったオフィスで笙悟との会話を楽しんでいた だが誰もいないと思っていたのに声をかけられ振り向けば同じ課の同僚がいた どこか神妙な顔をした相手は俺の仕事量に比べて最近残業が多すぎること、近頃ひとりごとが多すぎることなどを話してきた
 今もひとりごとを言っていただろう、という同僚の言葉に首を傾げる 何を言っているんだ 笙悟がここにいるじゃないかとモニタを見る モニタの中では笙悟が微笑みながらこちらを見ている そうして微笑む彼の瞳の色が、何も映っていないときのモニタと同じ色をしていることに俺はそのときはじめて気がついた


7月30日 (月)
 三日ぶりの会社だ この土日は社内に清掃業者が入るとかで限られた社員以外は出社できなかった 金曜日はあのあと気がつけば家にいた 相変わらず家のPCに笙悟は現れない 自分の課があるフロアに入った瞬間、すでに出社していた他の社員達の視線がこちらを向いた気がした
 視線はすぐに逸れて話しかけられることもない 挨拶を交わすこともなく席につく 真っ先に笙悟に会いに行きたかったが今日に限ってうちの課の人間達は早く来ている いつもはもっと遅く来る奴らばかりなのにどうして、と苛立たしい気持ちになる 金曜日に話した同僚と目があった やはり視線は逸らされた
 今日はほとんど一日誰かしらの目が俺を見ていた その方向を見ても誰かはわからない しかし一瞬皆が仕事に追われ誰もこちらを見ていないタイミングがあった 俺は笙悟に繋がる切替器のボタンを押した モニタには誰も映らなかった
 おかしいな いつもは彼が笑って俺を迎えてくれるのに ああでも今は授業中なのかもしれないな 笙悟は高校生だから そのうちに同僚が近づいてきて俺は仕事用のPCに切り替えるボタンを押した 仕事終わりにもう一度確かめようと思っていたが、今日はよくわからない理由で残業禁止を言い渡された
 明日はもっと早く会社に言って確かめてみようと思う それとも会社のモニタに映らなくなったのはもしかして と小さな希望を持ちながら家のPCモニタを覗き込んでみた やはりそこに笙悟はいなかった


7月31日 (火)
 昨日より二時間早く会社に来た この時間だと正面入口は閉まっているので後ろの専用口から入ることになる やる気のない顔をした警備員に社員証を見せて中に入る 流石にこの時間だと他の社員の姿はないので一安心だ 誰もいないオフィスでPCの電源を入れて俺は笙悟に繋がる切替器のボタンを押した
 だがモニタに彼の姿はない 笙悟、と呼びかけてみる 返事はない どうして、と考えていつかの会話がよみがえる 笙悟は朝が苦手だと言っていた 俺も低血圧だからわかるよと返すとおぉ、お前もかと笑っていた あの時の笑顔はかわいかった そう、笙悟は早起きが苦手だ だからまだ寝ているのかもしれない
 そのうち彼が眠そうな顔で姿を見せるのではないかと俺はじっとモニタを見ていた だがそれから一時間と少しが経った頃、他の社員が出社してきた 席に座っている俺を見て相手は驚いた顔をしたがそれを誤魔化すように咳払いをした あぁ時間切れだ 仕事用のPCに切り替える
 やがて上司が出社してくると先程の社員が上司に近づいていった こちらをチラチラ見ながら何かを話している どうでもいい その日も仕事中は周りの視線があり隙もなかったため彼に会いに行くことはできなかった 今日も残業は禁止された
 家のPCモニタに彼は相変わらず現れない しかし寝ているところに声をかけたのなら悪いことをしたと思った 次に会ったときに謝ろう そういえば彼と出会ってからこんなに会わない期間が続くのははじめてのことだ 寂しい せめて夢の中では会えないだろうかと俺は横になり目を閉じた


8月1日 (水)
 笙悟の夢は見られなかったうえに寝坊までした 昨日のツケだろうか 勤務時間ギリギリにフロアへ到着すると俺の席を囲んで数人が話していた 上司と例の同僚 あとはどいつも俺の近くに座っている顔だ ひとりが俺に気がつくと何事もなかったように全員が己の席に戻っていく 気味の悪い奴らだ
 まさかと思い自分の席に急いだが特に変わったところはない PCもそのままだ ほっとしながら席に座り笙悟に繋がる切替器のボタンをそっと撫でる そのまま押したくなる衝動を必死で抑えた 触れたボタンはほのかにあたたかいような気がした
 そのあとは昨日とほとんど変わらなかった 相変わらず周りの目が俺を見ている 笙悟には会えない うちの会社は毎週水曜日ノー残業デーとやらで残業が禁止だ それまでは気にならなかったがふざけた名前の制度だと思った 会社に残りたかったが半ば無理矢理フロアの外に出されればなす術はなかった
 家についても特にやりたいことはない 期待を込めて家のPCを見てもやはり彼はいない 自分がとても疲れている気がした 何もする意欲がわかない 笙悟の低く心地のよい声が聞きたかった 何度も何度も聞いたはずのその声を思い出そうとしたのに、どうしてかうまく思い出すことができなかった


8月2日 (木)
 寝坊はしなかったが今日もこれまでと変わらない一日だ ノー残業デーは昨日だったはずなのに俺は今日も残業禁止だ いつのまにか仕事量を減らされているらしくたしかに残業するほどの仕事もない 誰かが俺と笙悟を会わせないようにしているのか?そうとしか思えない
 一体誰が、と考えたところで答えは出ない 明日からもっと周りに注意を払う必要があると思いながらコンビニに入る 食べたいものがあるわけではないが腹は減る ここ数日ずっとそんな調子で空腹を抑えるために適当なものを買っては食べている 飲み物売場を通りがかったときに目をひかれるものがあり俺は迷わず手を伸ばした
 家に帰って最初にすることはPCを見ることだ やはりそこに笙悟はいない わかっていてもがっかりしてしまう 落胆した気持ちのままPC前に座り買ってきたコンビニ弁当を袋から取り出す いつもは食べるものしか買わないが今日に関してはまだ袋の中身があった
 取り出そうと掴んだそれは冷えた缶ビールだ 夕暮れでもまだ暑い中を帰ってきたから表面には水滴がういている アルコールだけでも多くの種類が置いてある中で銀色の缶をしたその銘柄を選んだのは、彼が好きだと言っていたことを目にした瞬間思い出したからだ
 高校生なのに飲んでいいのかと訊ねると固いこと言うなよと肩をすくめた笙悟の笑みがどこか年月を感じさせるものだったことを覚えている 大人びた見た目でもたしかに少年の姿をしている彼が、隠しているはずの何かを少しでも見せてくれた そのことをひどく嬉しく思ったその感情も覚えている
 迷わず二缶買ったうちのひとつをPCの前に置いてもうひとつの缶を開ける 乾杯、と言いながら缶同士をぶつけた もちろん返事はない わかってはいた それでもビールにつられた彼が出てきてくれないかという甘い期待があった 期待を投げ捨てるようにビールをあおった
 もともと酒は好きじゃない 会社の飲み会にも滅多に行かない 久しぶりに飲んだビールはやはり苦くおいしいものとは思えない これのどこが好きなのかと今度笙悟に会えたときに訊ねたいと思った


8月3日 (金)
 どうして今まで気づかなかったのだろう 残業を禁止されたからといって馬鹿正直に家に帰る必要はない うちの課を含めてフロアの連中はあまり遅くまで残っていない どこかで適当に時間をつぶして会社に戻れば誰に見咎められることもない そうすれば誰にも邪魔されず笙悟に会える
 警備員はいるが頻繁に見回りに来るわけではない そのことに気がついたのはもう家の近くまで帰ってきていたときだった 今すぐ来た道を戻ろうかと思ったが考え直してそのまま家に帰った 早すぎる これから会社に向かってもまだ誰かが残っている可能性が高い
 どこかで時間をつぶすくらいなら家で待つのも同じだと思った それに時間をつぶせるような場所など今の俺にはまったく考えつかない これから笙悟に会えるのだと思うと心臓が痛いほど高鳴っている まず何と言おうか 何を喋ろうか 彼はどんな顔をしてくれるのだろう どんな声で話してくれるのだろう
 考えているうちにあっという間に時間が過ぎる そろそろいいだろう 家の鍵をかけて会社に向かう 歩く俺の足はここしばらくでいちばん軽やかだ 自然と笑みも浮かんでくる 笙悟、 心の中で名前を呼んだ これから君に会いに行くよ


8月4日 (土)
 なにも手につかない一日だった 気がつけば土曜日が終わりそうになっている 昨日の今頃、俺は笙悟に会えると浮かれた足どりで会社に向かっていた 行かなければよかった 今はそう思っている
 結局俺は笙悟に会えなかった 彼は現れなかったのだ こんな時間に何の用かと訝しげな顔をする警備員に忘れ物をしたと苦しい言い訳をして向かったフロアで自分の席を目指す俺の足は余裕のないものになっていた 革靴と床がぶつかる音が誰もいないフロアに響いていた
 見慣れた俺の席はいつもと変わらない デスク上も特に触られてはいないように見える 安堵しながらも胸の高まりが治まることはない 笙悟 会うのは一週間ぶりだ 嬉しさで震える指で切替器のボタンを押した
 おお、久しぶりだなと笙悟が現れると俺は信じていた でもそこには誰もいなかった モニタの画面はただ暗く、正面にいる俺の姿さえ映らない 笙悟 名前を呼ぶ 返事はない 笙悟 声が小さかったのかともう少し大きな声で呼んでみる やはり返事はない
 笙悟、笙悟と名前を何度も呼びながら俺は頭のどこかでうっすらとわかっていた あの金曜日 俺が彼の何かに気がついたあの日からすべてがおかしくなってしまったことに しかし俺は笙悟の何に気がついたのだろう 考えても思い出せない
 思い出せないがどうして俺はそのことに気づいてしまったのだろう 俺は どうして 笙悟の名前を繰り返し呼びながら、俺は彼の瞳と同じ色をしたモニタをずっと見つめていた


8月5日 (日)
 日曜日が終わる 今日も昨日と同じなにも手につかない一日だ そもそも俺に休日を使ってやりたいことや趣味はない つまらない毎日を変えてくれたのはただひとり、笙悟だけだった だけど彼はいなくなった 冷蔵庫の中も空っぽだ 買い物くらいは行くべきだったかもしれないが食欲もあまりわかなくなってしまった
 今日食べたものといえばいつか買ってそのままになっていたカップラーメンだけだ 普段見向きもしないそれをなぜ買ったのか、誰かがその美味さについて熱く語っていたからだと思う その誰かが誰なのかは思い出せなかった 食欲がない中でも久しぶりに食べたカップラーメンはおいしいように感じた
 笙悟がいなくなった理由やまた会うための方法を考えようとしてもまったく頭が回らないそもそも彼が目の前に現れたのもいきなりのことだった そういえばとカレンダーを見る 彼とはじめて出会ったのはいつのことだった?カレンダーを遡ってみるがピンとくる月日はない
 最後に会えたあの日はどんな話をしていたのか 記憶を探るがまったく思い出せない 笙悟に関する記憶が自分の中からどんどん消えていっていることに気がついた そういえば彼の声はずっと思い出せないままだ あのときすでに俺は彼のことを忘れはじめていたのだろうか
 せめてこれ以上は彼のことを忘れたくないと思った 今覚えている限りの彼との会話を書き出してみようとノートを広げてみたが数行もかかないうちにペンが止まる 嘘だろう ショウゴ …………? ショウゴという漢字は、どう書くのだっただろうか
 ノートに彼の名前を書いてみる ふとおぼろげな記憶が甦ってきた サタケはわかるだろ、そうそう……ショウは楽器の……わかんねえか、たけかんむりに生まれるって書くんだが…… 記憶の声に従って書いた『佐竹笙悟』の文字をじっと見てみる 見ているうちに、わけもわからずに涙がこぼれてきた


8月6日 (月)
 生まれて初めて人を殴った 殴るつもりはなかったが気がつけば手が出ていた 人を殴るのは難しいことだと初めて知った 相手よりも殴った自分の手に被害が出ているように思う 時間が経った今でも、いや時間が経つにつれて右手の小指に感じていたじくじくとした痛みが増していっている
 折れてはいないようだが腫れも出てきている 殴ったときに相手の頬骨にでも当たったのだろうか 右手の痛みにつられるように先程から頭も痛い 今日は早く休もう しかしその前にとノートを広げる ペンを握ると右手の痛みが増した だがどうしても我慢できないほどではない
 広げたノートに彼の名前を何度も書いた 『佐竹笙悟』の文字がノートを埋めていく 忘れることなく彼の名前を書けることに安堵した サタケショウゴと口に出せば胸が締めつけられて苦しくなる 彼への感情は失われずに自分の中にある どうか明日になっても消えないでくれ そう願わずにはいられなかった


8月7日 (火)
 平日だが一日家にいた というより俺は会社に行くことができない 同僚を殴ったため今日から三日間俺は出勤停止だ 今度会社に行くのは金曜日になる それにしても昨日は出勤して早々から最悪だった 自分の席につく前に上司に呼び止められ鞄を置くことも許されないまま別室に連れていかれた
 部屋に入ってすぐ、土曜日ここで何をしていたと鋭い口調で問い詰められた 土曜日 ああ 笙悟に会いにきた日か 結局彼には会えなかったが 誰もいなかったはずなのになぜ知っているのかと思いながら忘れものを取りに戻っただけですと答える 上司の厳しい表情は変わらない
 お前がPCで何かしていたと報告が上がっていると言われた やる気のない警備員の顔が頭に浮かぶ 余計なことをと苛立ちがわいた その苛立ちは目の前の上司に対しても大きくなっていく どうして笙悟に会いにきたことをお前に話さないといけないんだ お前には関係ないじゃないか 俺と笙悟の間に入らないでくれ
 上司は続けて何か話していたが耳に入ってこなかった 音として認識はできるが意味がまったく理解できない 返事をしない自分に焦れたのか険しい顔をこちらに向けた上司の動きが一瞬止まる すぐに目を逸らされた どちらも喋らないまま時間が流れていく やがて上司がもう戻っていいと小さな声で言った
 戻っていいもなにも俺は今日まだ一度も自分の席についていない そう思ったが反論するのも面倒に感じ部屋をあとにした フロアに向かううちに苛立ちは治まっていったが朝からひどく疲れた気がした 上司に呼ばれてから結構な時間が経っていたらしく社内はすでに仕事の空気が漂っている
 フロアに入り自分の席に近づくと今度はうんざりした気分がわきあがってきた 席の近くで同僚数人が話し合っている 今度はなんなんだ 無視して座ろうとするとひとりが話しかけてきた あの金曜日、笙悟と会っていた俺に話しかけてきた同僚だった
 朝の挨拶もそこそこに彼は俺がいま使っている切替器を自分のものと交換してくれないかと言ってきた 仕事で使うPCが一台増えるため彼が使っている切替器では繋ぎきれないのだという お前の切替器の方が繋げるPC数が多いしそもそも何も繋がっていない箇所もあるだろ だから俺のと交換してもらえると助か、
 同僚の言葉が途切れて女子社員の悲鳴が上がった 誰かに羽交い締めにされてまた別室に連れていかれた 今すぐ帰るように言われ家についてしばらくすると出勤停止の連絡が入った そこでやっと俺は自分が同僚を殴ったことに気がついた
 右手をさすりながら昨日のことを反芻する 右手の痛みは昨日よりましになっている 折れてはいないようで安心した 昨日のことを思い返すほどにひとつの考えが頭の中を埋めていく ―俺が笙悟に会えなくなったのは、すべてがあの同僚のせいなんじゃないのか


8月8日 (水)
 出勤停止二日目だ 考えれば考えるほどあの同僚、あいつがすべての原因だとしか思えない 最後に笙悟に会えたあの日、あいつが俺に声さえかけなければ俺は今でも笙悟と過ごすことかできていたはずだ 俺の前から彼がいなくなることはなかったはずだ
 それだけに飽きたらずあいつは俺の切替器を奪おうとした 俺と笙悟の繋がりを完全に絶ちきろうとしたのだ 何の権利があってそんなことができる?なんの関係もないお前がどうして いや… まさか そうなのか? 恐ろしいことが頭に浮かぶ もしかして笙悟は今 あいつのところにいるのだろうか?
 あの金曜日 あいつも笙悟の姿を見たはずだ そこで何かよからぬことを考えたのだとしたら?あのあとの記憶が俺にはない そして月曜日からは周りの監視するような視線や禁止された残業のせいで俺は笙悟に会いにいくことができなかった
 あいつは残業を禁止されてもいない だから夜遅く俺のPCを使い改めて笙悟に会いに行くこともできただろう しかしそれだけで笙悟がいなくなるとは思えない だから そうだ 笙悟はあいつに囚われているんじゃないのか?俺の前から姿を消したんじゃない 俺に会おうとしても会えなかったんじゃないのか?
 笙悟が助けを求めている気がした いや 気がしたじゃない 彼が俺に助けを求めているああ そうだったんだな そうとわかれば早く君を助けにいかないと 素手で殴るのは難しいから何か道具がいるな 家の中を探してみたが殴るのに適したものは見つからなかった
 途中で買うかと考えて、あえて殴ることに固執する必要はないと気づく 要は消せればいいんだ 台所の包丁を手に取る 滅多に使わないそれの切れ味がいいのか悪いのか俺にはわからない だが包丁は包丁だ 力を込めて突き出せば大丈夫だろう
 家を出ようと開けた扉の外は暗かった いつのまにか夜になっていた 時計を見る この時間なら同僚はもう帰宅しているかもしれない あいつの家を俺は知らない 途端にわきあがった怒りに任せて扉を殴った また右手に痺れるような痛みが走る 明日 明日だ 明日の夕方会社の近くであいつが出てくるのを待とう
 笙悟を助けるんだ 失敗するわけにはいかない 今日はしっかり寝ておこう ノートに数えきれないほど書いた彼の名前をなぞった いい名前だな、とあらためて思う 笙悟 絶対に君を救ってみせるよ だからどうかそのときには、俺に笑顔を見せてほしい


8月9日 (木)
 俺は会社の自分の席に座っていた PCモニタに誰かが映っている 俺はその誰かと話していた 低く響く心地よい声からその誰かが男だとわかる しかし姿はぼんやりとしていて目をこらしても鮮明には見えない それでも俺にははっきりとわかった ずっと会いたかった ずっとその声が聞きたかった
 長い長い話を彼とした 気がつけば俺は会社の席ではなく見慣れない椅子に座っていた 彼もPCモニタの中ではなく向かい合った椅子に座り俺の話を聞いている ぼやけた姿でもわかった身長の高さに、あぁ俺よりも背が高かったんだなとそんなことを思った
 俺の話に頷いたり呆れたり小さく笑ったりと相槌をくれる彼が嬉しかった 返ってくる言葉も声もすべてが心地よかった こうやって彼とずっと過ごせたらどれだけ幸せだろう この時間がずっと続くようにと強く願った だがその願いは叶わない ふと話が途切れた一瞬、彼が静かに椅子から立ち上がった
 行かないでくれ!! 考える前に叫んでいた ようやく会えたのに 君がいなくなったら俺はどうすればいい 立ち上がって彼の腕を掴み無理矢理にでも引き止めたかった それなのに身体が動かない 彼が首を傾げてこちらを見ている 相変わらずその姿はぼやけているが困ったように眉を寄せているのがわかった
 彼がゆっくりこちらに歩いてくる こんなに近づいてもぼやけたままだと思っていると背中にそっと触れるぬくもりがあった ぬくもりは俺をあやすように優しく二度背中を叩いた それが彼の手のひらだと気づいた瞬間、カメラのピントがあったように彼の姿が鮮明になった
 彼の首に巻かれた名前も知らない花の描かれたスカーフが色鮮やかに目にうつる 身体が震えた 彼と触れあえる日がくるなんて思ってもいなかった 何か言いたいのに言葉が見つからない ただひとつだけ ああ 満たされたという思いで胸がつまった 低く優しい彼の声が、俺の耳もとで何か囁いた
 見慣れた天井がゆがんでいる 実際にゆがんでいるわけではなく視界が涙ではっきりしない それでも家の中が暗いことはわかった 長い夢を見ていたような気がするが本当に長時間寝ていたようだ 昨日は早く寝たにも関わらず一度も起きずに今の今まで寝ていた自分に驚く
 そもそも何故自分はあんなに早く寝たのだろう 涙を拭って部屋の電気をつけてぎょっとした 机に包丁が置いてある 置いた記憶はない 寝ぼけていたのだろうか それにしたって危ないと思いながら包丁の横で開いたままになっているノートを見た 沢山書かれている しかし書かれている言葉はひとつだ
『佐竹笙悟』 誰かの名前だろうか まったく心当たりがない 数少ない知り合いの名前を思い出しても該当する人間はいない しかしページをめくれば何枚にも渡ってその名前が書いてある 間違いなく自分の字だ わけがわからず混乱する
 そういえば自分が出勤停止になったことは覚えているがどうして俺は相手を殴ったのだろう 忘れていることがたくさんあるような気がした 若年性健忘の言葉が頭に浮かびゾッとする とにかく明日は会社だ 改めて寝られるかはわからないが明日の準備をして眠ってしまおう そう思い俺はノートを閉じた


8月10日 (金)
 早めに出社するつもりがギリギリの出社になってしまった どのように同僚に謝るべきかそして周りから向けられるはずの視線を思うと身支度をする手の動きが鈍ってしまい気がつけばこんな時間だ 慌ててフロアに駆け込んだ自分を見た社員達に緊張が走ったのを感じる
 突き刺さる多くの視線に立ち止まりたくなるのをぐっと堪えながら同僚のもとへ早足で向かった 相手はもちろんこちらの存在に気がついている 同僚が口を開いたのがわかったが何か言われる前に頭を下げた 殴ってしまった謝罪や治療費のこと、いっそ被害届も出してくれと思いつくままにまくし立てる
 どう謝るか直前まで考えていたはずなのにまったくその通りにいかなかった もう話すことも思いつかなくなり顔を上げる ぽかんとした表情の同僚があ、あぁ…とぎこちなく頷いた 何に対する頷きかはわからなかったがとりあえず謝罪できたことにほっとする 次は上司の席だ
 上司にも問題を起こしてしまったことを謝罪し頭を下げた 始末書の提出を命じられたが同僚と同じように上司もおかしな顔をしていてあまり小言を言われることもなく終わる 自分の席に向かう途中で気がついたが他の同僚達もどことなく戸惑った空気を漂わせている 一体なんなんだ
 自分の席に着く前にあの同僚に呼び止められた 相手のぎこちない様子はそのままだったが、殴られはしたが大したことにもならず病院に行く必要すらなかったこと だから出しようもないがそもそも被害届を出すつもりはないということをこちらに伝えてきた
 さらに同僚は言葉を続け、切替器は準備してもらえることになったからそのまま使ってくれ 大事なものを交換してくれなんて言って悪かったなと反対に謝ってきた 切替器?まったく覚えのない話だ 俺はそんなことで目の前の相手を殴ったのか?
 いや別に交換してくれて構わないと答えようとしたが自分の口から出たのはありがとうという言葉だった 相手の表情が硬いものからほっとしたものへと変わる 席に戻る同僚の背を見ながらどうして俺はありがとうと言ったのだろうと不思議に思った しかしそのまま突っ立っているわけにもいかない
 自分の席に向かう 三日しか経っていないのに随分と久しぶりな気がした 席につくとPCモニタと切替器が目に入る 途端に何かが胸に込み上げた なんだこれは そう思う間もなく込み上げたそれが止まることなく溢れてきた 水滴がぼたぼたとデスクに落ちる 隣からぎょっとした気配がした それもそうだ
 謹慎明けの相手が突然泣きだしたら怖いだろう だけど堪えきれない かけがえのないものがここにあったこと それが永遠に失われたこと 俺を救ってくれたこと その大切なものがなんだったのか、俺には一生気づけないということ それらを唐突に理解した どうしようもない喪失感に呆然とする俺の頬を、また涙が伝っていった



XX月XX日 (X)
 久しぶりの残業だ 書類の様式が今回から変わったことに気がつかず二度も書類を作る羽目になった ようやく片がついて軽く伸びをする 周りに同僚の姿はない 自分も早く帰ろうと数台あるPCをシャットダウンしていく 最後のPCに切り替えようとして切替器のボタンをつい押し間違えてしまった
 何も繋いでいないそれを押しても真っ暗な画面が映る そのはずだったがモニタには白黒ツートンの髪色が印象的な大人びた少年の姿が突然映った 驚いた自分と同じように彼もなぜか驚いた顔をしている しかし表情をすぐに改めた彼は自分を見て微笑むと現れたときと同じように唐突に消えた それきりだった
 心霊現象か幻覚かとパニックにならない自分が不思議だった 見覚えのない彼の姿になぜか懐かしさを感じていた (心配してくれていたのか?) (だけど俺は、大丈夫だよ) そんなことを思った自分に苦笑する 意味不明だ しかし悪い気分では決してなく、むしろ――

……今度こそPCの電源を落とすため、俺は切替器のボタンを押した。


(終)




あとがきのようなもの

蛇足では?と思いながらも社会人俺笙についてとりとめもなく書きます

社会人俺、最初に呟いたのが7/29のことでした そして8/10まで毎日呟いていたので13日間……いや最終日は8/10分とエピローグ分があったので俺にとっては14日……?PCモニタに映る佐竹笙悟を求めて彷徨う俺、14日間の日々でした(?)

最初に呟いたときはそもそも話を続けるつもりなかったんですが社会人俺、自我がめちゃくちゃ強く次の日も喋りだすしそれでも3日くらいで終わると思ったら終わらないしフォロワーさんからも煽られる(言い方が悪い)しで気がつけば連勤中連載というよくわからないことになっていた そうなんです 7/30から8/10まで連勤だったんです自分 なんでそういうときにこんなこと始めたの?わからない……社会人俺の自我、めちゃくちゃ強かったからとしか……でも連勤中も社会人俺のことがあったから体調管理に気を配れたよ ありがとうございました(?)

呟きはじめの頃はこんなの最初の段階で俺積んでるしバッドエンド一直線でしょ間違いないと思っていました 俺、絶対にPCモニタと切替器を会社から奪って失踪または屋上ダイブすると思ってたもんな……もしくは彼とひとつになりたくてモニタと切替器食べてから×ぬ……彼を救うという思い込みのままあの同僚を消してしまう可能性も充分にあった 多分その方向に進んでも俺は彼に会えたとは思います その彼は間違いなく幻想なんだけど俺にとっては彼その人に違いないので幸せにはなった 俺だけに見える佐竹笙悟との楽しい刑務所ライフのはじまりはじまり……

しかしそうはならずに社会人俺、なんだかんだと生きていくことになりました 彼が俺の狂気を記憶とともに持っていったので忘れてしまったこともたくさんありそれを思い出すことは一生ないけれど、忘れなかったこともあるからそれを大切に俺はこれからも生きていくよ
胸をはってハッピーエンドとはいえないし当初考えていた破滅に向かうための伏線ぶん投げたままになってしまったんですが……毎日連載のライブ感ということで目を瞑ってください……(甘え)

書きながら迷いつつもこの方向に進んだのは俺の焦がれたPCモニタの少年佐竹笙悟、彼の名前には“生きる”の字が入っているんだよなあ……とふと気がついたことも大きいですし、それにフォロワーさんたち社会人俺にめちゃくちゃ優しかった あまりに優しいのでもしかして俺生きていってもいいのかな?と思ったんですよね 佐竹笙悟に焦がれる俺、みんな狂って滅ぶものと考えていたけれど必ずしもそうなる必要はないのか……と改めて気づくことができました いやそもそも俺が滅びるのは佐竹と一線越えた場合じゃなかった?今回の俺、彼と話していただけで触れることすらなかったのに……最後にハグしてもらったけど……俺、弱いのですぐ彼に狂ってしまうんだなあ……
それはともかく、途中の疑似アンケートでみなさん俺が笙悟に会えるって言ってくれたのでそっちの方面は全然考えていなかったのに会うこともできた ありがとうございました

俺の出逢ったPCモニタの少年佐竹笙悟なんですがその正体はかつてのメビウス、いや今はメタバーセスを漂う先輩の残滓的なもの……と考えていました μちゃんの記憶の残滓的なやつ……先輩、5年もメビウスにいたんだから同じように残滓が残ってもおかしくない 可能性は十二分にある あるったらある あるに違いない

そんな残滓先輩、何の楽しみもなく感情の起伏もなく人生つまらないどうでもいいとぼんやり思いながら日々過ごしている俺を偶然見つけこいつそのうち自殺でもすんじゃねえかと心配になり俺の前に現れてくれたんですけど、あまりにも俺が自分に傾倒してくるためこれはこれでこいつの為にならねえなあと考えていたところあの金曜日事件があり渡りに船と姿を消したんですが、普通ならそれで自分との記憶も消えてうまいこと改竄されるはずが俺の執着があまりに強すぎたためうまくいかず記憶の消え方も歪なものになるし俺は俺でますます狂っていくししまいには人としての一線越えようとしていたのであーもうこいつ手のかかる奴だな……と自ら俺の記憶を消しに来てくれた 社会人俺笙、ざっくり説明するとそんな感じです だからあの夢は夢であって夢じゃないんだ ちゃんと彼自身が会いに来てくれたんだよ よかったね俺(俺を甘やかしている自覚はあります) 人の見る夢も集合無意識ですし、メタバーセスを漂う残滓先輩にも介入できるでしょ(ガバガバ理論)

残滓先輩、もうそれで俺の前に姿を現すつもりはなかったけどそういえばあいつちゃんとやってんのか……と俺の様子を見に来てこっそり帰るつもりが俺が切替器のボタンを押し間違えるという痛恨のミスを犯した結果俺の前に姿を現す羽目に……いやそもそも俺が切替器押し始めた段階で残滓先輩、帰ればよかったんですけど……彼、そういう抜けてるところがあるんだ 俺、そんなところも好きだったよ 今はもう憶えていないけど

最初の段階ではもちろんこのような設定も考えておらず社会人俺の見ている佐竹笙悟?幻覚ですねで即答FAでした しかし話を進めるうちに俺の焦がれた佐竹笙悟、幻覚であってほしくねえ……存在していてほしい……という思いが湧いてきて彼の正体を考えたくなった結果が上記のものです 残滓先輩、今もメタバーセスを漂っては世を儚む人の背中をそっと支えているのかもしれない(そしてこの設定、というか先輩の残滓がメビウスに……というもの、あるフォロワーさんにとても影響を受けています ありがとうございました いつかそのお話が作品をして形になるのを楽しみにしていますと改めてお伝えします)

ま、マジで話がとりとめもねえ……有言実行じゃん……(?) まとめる言葉も思いつきませんがあとがきでした このたびは長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました!